『ヤマエツ歓写堂株式会社』誕生秘話
今を遡ること30年ほど前(1990年代)から代表の山田は『ヤマエツ企画』の名の下に非営利組織として、音楽のライブや講演会を毎年、不定期に開催してきました。
会社設立の半年ほど前から、ぼんやりと社名を考え始めました。
しかしながら、納得できる名前の決定には至りませんでした。
悶々とする日々の中で、旧知のギタリスト、小松原俊氏から「会社を経営するにあたり、お客さまや周りの人への感謝の気持ちを忘れないように…。そして音楽と写真でお客さまに感動を!」という旨のエールをいただきました。
「感謝、そして感動するスタジオ…」その言葉を反芻するうちに、『感謝』→『歓写』、そして『感動』→『歓堂』と閃きました。
それが「まさにこれだっ!!」と『ヤマエツ歓写堂株式会社』の社名誕生の瞬間でした。
(ヤマエツ←店主、山田悦司の短縮形)
看板は墨筆としたいという強いこだわりがありました。その揮毫は話題性も考慮して、著名な方にお願いしようと準備をしていました。しかし、これから伸びゆく会社には、新進気鋭で嘱望される若手の書家による揮毫が相応しいという思いに至りました。
探してみるとなんと、相応しい書家が地元岐阜県におられました。
『美濃人』なる雅号を持つ若き好青年です。この方は、人格者で書の探求には余念がありません。常に書に向き合い、空手道、合気道、居合道は有段者として、日々精神修養も怠りません。多くの若者の指導にもあたっておられます。近年は文化庁の委嘱により、全国の書道教諭に講義をされるという技量と才能を備えた書家です。
社名の揮毫の依頼を快く受けていただき、三枚したためていただきました。その中の1枚を店舗の看板に用いました。
素直で伸びゆく毛筆で書かれた社名、これを眺めるたびに、背筋がピンと伸びる思いがします。
巷間「ヤマエツ歓写堂、柳ヶ瀬の地にあり」と言われるよう、末永く愛される会社を目指して精進してまいります。